2014年企画会議の旅 その2

水曜日。早朝に大阪を出発して尾張一宮へ。
移動中に眠ろうとしたけれど緊張からか眠れず、関西の会議で感じたことなどメモし乍らうつらうつらとしていたら到着直前に落ちてしまい、乗り過ごす。慌てて戻りタクシーで会場へ。
全体会の終わり近くに汗だくで滑り込んだ。

人形劇団ひぽぽたあむの永野むつみさんが福島の被災地支援事業について話し始めるところだった。
家族が、例えば朝ご飯の葱一本のことで言い争う現実。
お爺ちゃんは「俺が作った葱が喰えないのか」と言い、母親は「私は食べますが子どもには食べさせられないです」と言う。現実のことを話し合うのがとても難しいという、今。
けれどつくりごとのことなら話せる。同じ芝居を観て感想を話すことなら出来る。
「つくりごと」の中に「ほんとう」があるのが舞台芸術。それを届ける。
けれど支援団体もまたどんどん疲弊して行っているという現実。
どうか広く、息の長い支援を。という内容でした。
むつみさんの言葉と声はいつもしなやかに心に響く。

東海の企画会議は二日間通し。
ここでは先ずこども劇場側の各出席者がそれぞれの取り組みについて順に話し、その後各創造団体(劇団側)の説明の時間となる。双方合わせて40人ぐらい?だろうか。結構な大人数。
関西では大きな舞台上で話したけれどこちらは集会室に長机を並べて行う。
(ちなみに首都圏では集会室の壇上で説明者が話す形式)
開催地域によってかなり流れややりかたが違うのだとやっと少し分かって来た。
1〜2分という短い時間とはいえ、各劇場の取り組みや希望について聴くことができるのが東海会議の特徴のよう。その後、7〜8分の持ち時間で創造団体のアピールタイムとなる。

劇場と創造団体の説明がそれぞれ終わると一時間ほどの交流会。
劇場から出た取り組みや問題などからテーマを拾って意見を交わす。初日はLINE、ネット問題について。

自分の子どもにはゲームを与えていない、テレビも地デジにしなかったためローカル局しか映らずあまり観ていないというある劇場の方。その代わり虫取りで子どもが取って来た虫は何であろうと受け入れる。ゲームが出来ないと仲間はずれにされるかなと思ったら、意外とそうでもなく、「虫見せて」「そんなの取って来て怒られないの?」と結構人気のよう。
という話が印象に残った。それでも彼は近い将来ネットにもスマホにもゲームにも触れることになるだろう。その時、何を思い、どう使ってゆくだろうか。
そしてLINEやインターネットで子どもたちが本当に疲れている、という話。
私が子ども〜大学生くらいまではインターネットってそんなに一般的じゃなかった。
高校生の頃ポケベルが出てやがて携帯電話に移行した。そしてパソコンが一般化して、今度はそれがどんどんどんどん小さくなってスマホになった。パソコンを常に携帯する時代。
私がロンドンに留学していた時、今程パソコンやネットは一般的ではなかった。
周りにあまり日本人もいなくて、ものすごく日本語に飢えた。ちなみに音楽もカセットテープで持って行ったり送ってもらったりしていた。(CDも既にあったよ!勿論!)
週に一度発行される日本語のフリーペーパーを列に並んでもらい、隅から隅まで読んだ。
数本のカセットテープを繰り返し聴いた。
ほんの少しの字が、文章が、音が、とても大切だった。
そして日本とロンドンはとても遠かった。
今、勿論私もパソコンもスマホも使うしLINEもやっている。全然使いこなせていないけど、ある程度便利に使っていると思う。同時に依存性があることも分かる。私もひたすらインターネットを見るのをやめられないことがある。
今なら日本でもロンドンでもフランスの田舎でも、スマホやパソコンをネットに繋げればどこに居たって同じ情報が、繋がりがそこにある。きっと今なら日本語に飢えることもないだろう。情報にも困らないだろう。
ロンドン留学時代に隣の部屋の男の子がずっと部屋にこもってパソコンで祖国の友達とチャットしていて「何の為にここに来たんだろ…?」って思ったことを思い出す。
あの時ロンドンで感じた寂しさや孤独は強烈な思い出として心に刻まれている。

昔はよかった、なんて言っても仕方のないことで、私の若い頃にもそうだったようにいつだって「今」は昔から見れば嘆かわしい状況で常に若者は新しいものに毒されているのだろう。
情報に溢れる時代。今、若い人たちや小さい人たちが向かい合う寂しさや孤独はまた違うものなのだと思う。
おとなにだって使いこなせていない「インターネット」というもの。
それは人を助けると同時に阻害もする、諸刃の剣。
ということを私もインターネットでこのように発信している訳で。
私がこの日最後にやっと発言できたのは「時代はいつも変わってゆく。それは止められない。インターネットは人を助けると同時に毒する。大切なのはネットの向こうには生身の人間がいる、という実感と想像力を持つこと」ということだった。

二日目のテーマは「自由について」だった。
「自由」ってかなり漠然として色んな捉え方が出来るので出た意見も多様だったけれど(個人的にはもう少し限定した方が内容が深まりやすいように思う)私が自分の活動を通して感じたことは、
『自由とは「知ること」』。
身を以て知り、感じ考えることで可能性は広がる。自分を知ることは他者を、そして世界を知ること。
どんなに情報が溢れても、情報の向こうには自分と同じ生身の人間がいる。悩み傷付き泣き笑い喜び生きる人間が個別にそして無数にいるということ。
そのことに圧倒され気圧された上に自由と可能性がある。想像力は創造力。
かろうじて少し発言出来た。

今年始めて単独で三つの会議に参加して、正直消化しきれないくらい沢山の考えや思いや現実と出会った。
もう一度自分の活動や作品、世界との関わりについて問い直す機会だったのだと思う。

私は小さいひとに向けたものも、大きいひとに向けたものも作ります。
大きいひとに向けたものには時に「過激」と思われるものもあります。
舞台も大道芸もやります。ライブハウスでもやります。場所によって、観客によって演じ方は変わります。

演じ方や内容は変われどいつも、つくりごとの中にある「ほんとう」を伝えたいと思っています。
つくりごとでしか伝えられない、普遍的なことを伝えたいと思っています。
「見なさい」「知りなさい」と思っています。
「見たい」「知りたい」と思っています。
どんな時代にあっても全ての人のこころとからだが自由でありますように、と願っています。

こんな風に考える機会と出会いをくれた子ども劇場という活動に、その活動を支え続けて来た人たちに、子ども劇場に連れて行ってくれたチカパンに、心から感謝します。

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